ザ・投稿1999  

<投稿No.001 〜 投稿者:Unicornさん (MOM1999年5月号)>

大藪春彦のすすめる一冊 
 
 ある小冊子上で、大藪氏の文章を見つけましたので、投稿させていただきます。
日本出版販売株式会社
平成元年(1989)3月刊行
「現代人気作家がすすめる私自身の一冊」から(17頁)

『戦士の挽歌(バラード)』 大藪春彦

「この作品は患者をただの金儲けの道具としか見ていない、現代の医療界の荒廃ぶりを、
  中堅制約会社のやり手のプロパーの行動を通じて描いたものである。
  主人公のプロパーの石川克也は、内に野心を秘めながら、
  医師や病院経営者にあらゆる手を使って薬の売りこみに回る。
  石川のやり方も悪どいが、相手はさらあくどい。
  そしてついに石川の暴力が爆発し、東京は戦場と化す。
  僕は内に己れだけのモラルを持って黙々と体を鍛えていく石川克也が大好きだ。
  この作品を書くに当たって、例によって膨大な資料を必要としたが、
  書いている時には深い満足感があった。楽しみでさえあった。
  ぜひとも多くの読者が読んでくださることを望んでやまない。
  特に、この作品を書き終えてから大病にかかり、多作出来なくなった今としては……。」

  以上が全文です。(小冊子原文のまま)丁度10年前の資料となりますね。
  同じ頁に、同作品の簡単なあらすじと、大藪氏の経歴と写真が掲載されています。
  (写真は、ダウンジャケットを着て、やや上向きかげんの表情のもの。
    光文社文庫の 著者近影と同一のものでしょうか)
  そして、最下段に「著者近刊」として10作品の作品名と出版社が紹介されています。
  この文章に引かれて、早速徳間文庫全三巻を購入、一気に読破しました。
  (もう10 年も前のことだ!)
  この当時は「戦士の挽歌」が「この一冊」だったんですね〜。
  晩年の「この一冊」はなんだったんでしょうか?今となっては聞く術はありませんが、……。

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 Seven : 投稿ありがとうございました。
      晩年の「この一冊」ですが、。
      大藪氏が自作ではなく、他の作家の作品について語った貴重な雑誌があります。

     1. 『よむ』(1992年5月号・岩波書店)〜特集・20世紀日本の読書遍歴〜        

         ・・・4つのライフステージごとの忘れえぬ一冊として、
           大藪春彦氏は次の4冊をあげ、コメントしました。

       (1)幼年期の一冊 : 『ハックルベリー・フィンの冒険』(マーク・トゥエイン)
          ・・・「野放図なアメリカン・ビッター・ユーモアが楽しかった。」

       (2)青春時代の一冊 : 『バラントレーの若殿』(スチーヴンスン)
          ・・・「邪悪な観念を言語に絶する美貌と長身に包む兄ジェームス。
              その観念に射すくまれ自らも観念に生きることになる弟ヘンリー。」
    
        (3)中年・壮年の一冊 : 『世界を俺のポケットに』(ジェームス・ハドリー・チェイス)
          ・・・「エンターテインメント小説の神髄。
             著者はハードボイルド・ストーリー・テラーとして抜群。」

       (4)成年後期の一冊 : 『砂のクロニクル』(船戸与一)
          ・・・「イスラム革命という観念だけに生き、その観念のために死んだサミル・セイフ。
              クルド民族独立運動がからむ」


<投稿No.002 〜 投稿者:モーゼルおじさん (MOM1999年7月号)>

大藪作品の精神の系譜   

 大藪氏の自己を投影したと思われる主人公では何と行ってもデビュー作「野獣死すべし」で登場してきた
『伊達邦彦』ですが、その他、「汚れ た英雄」の『北野晶夫』の描写でも幾ばくか、”精神の系譜”とでもいうような
文学作品のさりげない紹介、暗示があります。

  今回はそれらを参考に、その「大藪作品の精神の系譜」とでもいう作品を、洗い出してみたいと思います。

 これから記述するのは、あくまで一読者である私個人の意見ですので、その他の方々で御意見もあろうかと
思います(訂正・補足・御意見歓迎)
  また、年若い読者の方は、
大藪作品を取っかかりとして幅広い読書生活への第一歩を踏み出される方もあろうかと
思います。そのような方々への、 ささやかな御参考になれば幸いです。
(現在入手可能と思われる出版社名 も上げておきました。)

<ロシア文学系>
これは、邦彦の基本となった外国文学の中でもその”魂のふるさと”とでもいうべきの国ですね。
満州育ちの大藪氏の物の見方は、ロシアの大地に通ずる「大陸的」な大きさがありますね。

@(未読)「鋼鉄は如何にして鍛えられたか」オストロフスキー(新日本文庫)
A「現代の英雄」レールモントフ(岩波文庫)
B「悪霊」ドストエフスキー(岩波・新潮文庫)

その他、エッセイで書いてあったかと思いますが
その他にも「大いなるド ン(←河の名前です)」(ショーロホフ)等がありますが、
これは当時の 読書子には必読書だったらしいですが、
現在は殆ど読まれなくなってしま っています。(私も未読。) 

また、邦彦の精神形成期で”「猟人日記」からロシア文学に入り・・” と紹介されたツルゲーネフは、
「父と子」という作品では、”ニヒリスト” という概念を初めて提出(ニーチェのニヒリズム思想も
そこから影響を受 けているとの事)し、ヨーロッパのインテリ層に衝撃を与えた作家です。

Bは、「イワン・カラマーゾフの大審問官に人類の意識の極限を見た邦彦は・・」という点で
「カラマーゾフの兄弟」を上げるべきかも知れませんが、
ドスエフスキーはBで、知的で悪魔的なキャラクター、スタブローギンを創造しています。
(旧ソ連邦時代は、禁書扱いだったそうです。)

<アメリカ文学系>
  これもロシア文学を土台に据えた邦彦が
「・・下宿に寝っころがってア メリカン・ハードボイルドにとっくむ・・・」という描写がありますように、
ロシア文学の上に着る服のように、外面的スタイルの仕上げに必要とされた精神的要素でしょう。
(外面の繊細さと内面の太々しさ、という奴ですね。)

C「血の収穫」、「マルタの鷹」ダシール・ハメット(創元推理・早川文庫)
D「大いなる眠り」レイモンド・チャンドラー(創元推理・早川文庫)

余談ですが、Dの創元社の双葉十三郎訳は、
   自動昇降機(何となくレトロチック) ← エレベーター
   アメリカざぼん(何これ?)     ← グレープフルーツ
   ”うふぅ”(爆笑モノです)     ← ”uh”の直訳などという、
今となっては”トンデモ”訳の箇所がありますので、御注意。
(あのフィリップ・マーロウが会話の合間に「うふぅ」という発言を放つのを活字で見ると
、何とも言えないオカシサがこみ上げてきます。)

その他、直接的言及はあまりないですが、同じくドストエフスキーを読み、
「何故、こんな下手くそな文章でこんなに素晴らしいのだ」と修業時代に言ったという、
「全てのハードボイルド文学の父」とでも言える、
ヘミン グウェイの描く作品(特に短編)も忘れてはなりません。

<イギリス文学系>
E「バラントレー家の若殿」スティーヴンソン(岩波文庫)

「汚れた英雄」でも紹介された強烈な悪魔的魂を持つ主人公を描いた作品です。
私が学生時代の頃は現役版の訳本は出ていず、大学の図書館に大正時代の
旧かな使いの訳本(単行本)があるのみでした。

この作品は「宝島」を書いたスティーブンソンとしては、研究家の間でも長い間”異色作”扱いされていたに
過ぎなかったらしいですが、近年では ”最重要作”となってきているとの事。
いち早くその作品の実質を見抜いていた大藪氏の眼力は流石だと思います。

<フランス文学系>
  大藪作品にフランス文学?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、
初期短編で登場人物の部屋の書架に”ポール・エリュアール(仏詩人)の詩集があった”と
さりげなく書く大藪氏ですから、当然そちらにも知識があったと思われます。
下記の作品に描かれる壮絶な世界は、
大藪ヒーロー の悪魔的な精神にも繋がるものがあります。

F詩集「悪の華」・・・・ボードレール(新潮・岩波・集英社文庫)
G詩集「地獄の季節」・・・・ランボー(新潮・岩波・集英社文庫)

<独逸文学系>
”力への意志”を謳った哲人ニーチェ、優れた才能を兼ね備えたながら、
とてつもない厭世観で世の中の人々を嘲笑・呪詛する「荒野の狼」を書いたヘッセの作品もはずせません。

H「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ(岩波・新潮他)
I「荒野の狼」ヘッセ(新潮文庫)

実際に大藪作品に登場するような人間(市民生活の中に潜むタフ・ガイ)が本当にいるのか?
と疑問の向きの方には、参考として(いずれもマフィアの人達の実録ドキュメント。現在入手可。)、

J「アメリカを葬った男」 (サム&チャック・ジアンカーナ/落合信彦訳 光文社文庫刊)
K「フェイク マフィアをはめた男」 (ジョセフ・ピストーネ/落合信彦訳 集英社文庫刊)

をお奨めします。

伊達邦彦という人格の初期の精神形成は、
ほぼ上記に上げた作品の精神の 系譜に連なる存在であると言えます。

また、作者存命中は何故か文庫本に収録される事のなかった(※)、『野獣死すべし<渡米編>』で、
さまざまな外国探偵小説のキャラクターを登場させて伊達邦彦がからかう話を読むと、
当時の大藪氏の探偵小説への造 詣の深さが推察されるかと思われます。

(※)私はそこに大藪氏の意識的か無意識的かの、”何らかの意志”を感じてしまうのですが・・・
。(皆さんはどう思われますか?)

没後1年後の光文社刊「野獣死すべし(伊達邦彦全集)」で文庫本初収録されした。
しかし、時代的要請により、伊達邦彦には映画の「007シリーズ」(原作・イアン・フレミング)の要素が
途中から混入してきます
(邦彦は『諜報局 破壊班員』で、英国のエージェントと化す。これも血湧き肉踊る作。)が、
そのお話は、またいつか。

いささかまとまりのないお話となりましたが、御寛如下さい。m(_ _)m。           


<投稿No.003 〜 投稿者:"Uncle Mauzar"(=モーゼルおじさん) (MOM1999年12月号)>

暴論?:黒澤映画「用心棒」は、大藪春彦氏によって誕生か?

     ○サブタイトル:<<推論:大藪作品が黒澤映画に与えた波及的現象?>>

 これから書くことは、「日本映画の」「ごく狭い世界」に時代的に現れた現象について、
あまり根拠が無く「こじつけ気味」に書くものですから、読まれる方は、「話半分」で
「真に受けない」で、軽〜くお暇潰しに受け止めて下さいね。
(<推論>にて<指摘>するにとどめます)(^;

黒澤明監督「用心棒」(’61 東宝・黒沢プロ)に、三船敏郎氏演ずる「桑畑三十郎」
と対決するヤクザ素浪人「卯乃助」に仲代達矢氏が出てきます。・・・それも、宿場町を描
いた江戸中期と推定される舞台で、仲代は「拳銃(スプリング・フィールド銃の初期タイプ?)」持ってます。
なおかつ、首には横浜で(スタッフが買ってきた)マフラー巻いて(爆笑)。

後年のインタビューにて黒澤氏も
「用心棒は伸び伸び作った。仲代の首に巻いてるマフラー、あれ横浜で買ってきた舶来製だもんね(笑)。
考えてみれば、『用心棒』は細かいところはメチャクチャなんだな。でも、画面と筋運びで見せちゃう」(文責:筆者)
というような発言も、されてます。

・・・・ここまでで、勘の良い方なら私の言わんとする事、察しが付くと思われます。

1950〜60年代初頭

日本映画界は、空前の黄金期にあたります。

昭和33年(’58)・・・・小説「野獣死すべし」で、大藪春彦は颯爽とデビューします。
この作品がいかに世間にインパクトを与えたかは、同時代に芥川賞受賞した石原慎太郎氏
(「太陽の季節」)のもたらした雰囲気と連動するようにして、早速の映画化(東宝)という現象に
一気に飛躍した事からもわかります。

「野獣死すべし」(’59 東宝/須川栄三監督)・・・・主演:仲代達矢(伊達邦彦)
冷酷・非情な現代青年が、肉体と銃器をもとに、「完全犯罪」で世の中を中央突破していく軌跡を
描いた作品として・・・・公開されました。

須川監督は新人監督第1作として、上記の作品をリリースしました。
当時の映画台本内容(資料提供:川口且真氏)と、実際に映像化された作品(資料提供:ZAI氏)を見比べ
ながら鑑賞する機会を得ました。 (資料提供して下さった両氏には、この場を借りて御礼申し上げます。)

当時の撮影所の状況が、いかに「厚み」を持った環境だったかが、偲ばれます。

新人監督の第1作目の船出に当たって、
・話題の原作(それも、大学在籍中の作家のデビュー作!)。
・練りに練った脚本(白坂依志夫氏)。
・(絶妙のバランスに今からでは思える)ベテラン−新人−その他のキャスティング
(ヤジ馬の群衆でさえ、最近の同傾向な作品に較べると、数が違います)の厚み。
・音楽担当も、当代気鋭(溝口健二作品でも実績有り)の現代作曲家(黛敏郎氏)の起用。

というお膳立てをする、組織集団だったという事実!
そういう状況下でも、助監督から監督に昇進するのは至難の技だったそうです。

須川監督は、それをクリアして監督第1作として「野獣死すべし」を制作するというチャンスに、
「原作・脚本・音楽・監督とも同世代の」作品として、それは非常に熱を込めて制作した旨、
後年になって述懐されています(「大藪春彦の世界」新評社所収のエッセイ『大薮春彦は伊達邦彦だった』参考)。

どこの世界でもそうですが、勢いの良い新人の仕事、というものは注目・関心の的になります。
特に映画撮影所というのは職人の世界ですから、その傾向は人一倍かと思われます。

須川監督の出発した東宝撮影所の当時の頂点に立つ監督は、
何と言っても「世界のクロサワ」=黒澤明氏その人でしょう。

黒澤明氏は「酔いどれ天使(’48)」「野良犬(’49)」など、
新人・三船敏郎氏を大スターに押し上げた終戦直後の一連の現代劇作品で、
「ハードボイルド」風味のある作品傾向を持った映画作家です。

特に「野良犬」の中では「アプレ・ゲール(フランス語で「戦後派」)」世代の青年達の
無軌道な振る舞い・犯罪ぶりに、あえて対置するかのように、同世代の復員軍人上がりの無骨な新人青年刑事(三船)を配し、
「この混乱極まる世相に、強い倫理観・責任感で他者のために己を全うする青年像」を強烈に打ち出しました。

(「野良犬」のあらすじ)
・戦争直後の混乱期に、自分のコルト拳銃をスられた三船演ずる青年新米刑事、その拳銃で次々 に犯罪が引き起こされる。
不様で惨めな状況下、必死こいて捜査する青年刑事はラスト、独りぼっちで犯人を雑木林に追いつめる・・・・というような物語です。

このような作家精神を抱いた方が、「戦後派世代(の最後の生き残り)」が打ち出した「ハードボイルド作品」である、
超破壊的なパワー(価値観)を持つ「野獣死すべし」(大藪−須川−仲代)に敏感に反応しない訳にはいかなかったと見えます。

ヒットはしましたが、当時の作品評価的にはパッとしなかった「悪いやつほどよく眠る」(’60)で、
終戦直後に「静かなる決闘」(’49:戦地で手術ミスで患者から梅毒に感染した青年医師の悲劇と
強いストイシズムで精神的危機を乗り越える話)で、
語った主題があまりうまく伝わらなかった事を「野良犬」で一挙に挽回したように、「軽く気を抜いて」と発言してますが、
茶目っ気たっぷりに「用心棒」(’61)を制作したようにも感じられます。

その「用心棒」では・・・・
・滅茶苦茶強い主人公・・・・これまでの黒澤作品ヒーローを演じた三船敏郎
・ライバル・・・最後はやっつけられる・・・「野獣死すべし」の主人公を演じた仲代達矢
おまけに、時代劇なのに「拳銃」持たせる(笑)。
これ、後を追ってくる次世代選手を完全に「余裕でからかってる図」のように思えませんか?

ついでに「用心棒」という作品は宿場町に巣食う2つのヤクザ勢力をタフガイな侍主人公がうまく立ち回って、
激突させ、最後は両方とも壊滅させる、というプロットですが、
それはハードボイルド探偵小説の祖、ダシール・ハメットの「血の収穫」(The Red Hervest)
のプロットの”そのまま”なのです。(黒澤氏も、制作してる時は全然念頭になく、後年に
批評家からハメットのプロットとの類似点を指摘され、影響に気が付いたそうです。・・・
なので、今回の私のヨタ話も、もしかしたら・・・?という事で(^^)。)

なお、黒澤氏はこれの後の作品「椿三十郎」(’62)でも、ふたたび似たようなプロットで、
三船と仲代を激突させ、最後に仲代は三船にぶった切られてしまいます。
・・・巨匠は、しつこい?と言うと語弊がありますが、やる事は徹底していますね(笑)。

なお、角川文庫「赤い手裏剣(『孤剣』改題)」解説でも指摘されていますが、大藪氏は大藪氏で、
黒澤の「用心棒」でのリアルな殺陣、迫真のアクションに影響されての描写が、同作品に現れているとの事です。

作品の打ち出すテーマは裏表であれ、私は個人的にですが、若年期の

・ロシア文学の影響〜幅広い芸術作品の摂取
・絵画(黒澤氏は、昔画家志望)への関心(大藪氏にも「無題」という作品がありますね)
・政治思想運動への参加〜離脱

などの軌跡から、「感性・志向性」が大藪・黒澤両氏は、
とても近い資質を持っていた人たちなのではないのだろうか?と考えております。

長文失礼致しました。


<投稿No.004 〜 投稿者:信州の大藪FAN KAWAKAMIさん (MOM1999年12月号)>

イヤー笑った笑った!BOOKHUNTERやっぱり火制地帯ですか、古本屋で私も探しています。
ザガンアンドライフルはレアですが近所の古本屋で100円で売ってる可能性もあって
要注意です。私は200円で買った。というか買いなおしました。

伊達邦彦の年齢はあまり深く考えると白髪が増えるだけですよ。
といいますのも、「悪霊島」で横溝正史氏が金田一耕介を若返らせたのでそれに倣って
野獣は蘇るで邦彦を若返らせているからです。
金田一耕介の話はなんかのエッセイで大藪さんが書いてました。
ですからこれは、意図的に大藪さんがやったことであえて騒言う時系列を無視しようとしたものと思います。
でもシャーロキアンじゃないけれどこう言うこと考えるって楽しいですよね。

平成野獣2作は邦彦の正規のストーリーではないという投稿がありましたが、
それは逆で日銀ダイヤ作戦がかかれた時点で汚れたダイヤなどの優雅なる野獣や不屈の野獣の中の短編が正規のストーリーから外れ、
野獣は蘇るで、女豹シリーズが正規のストーリーから外れた番外編と成ったと見るべきでしょう。

また「野獣は蘇る」は「日銀ダイヤ作戦」の数年後の話ですので現実世界の時間の流れと邦彦ワールドの時間の流れに差異があるのかもしれません。

後書籍じゃないけれどスター千一夜に確か出ていたのでそれ観たいですよね。
FM東京の深夜で1983頃浅井慎平と対談していて録音テープ持ってたんですが無くしてしまいました残念

これからも楽しいHPよろしくお願いします。


<投稿No.005 〜 投稿者:M.Fさん (MOM1999年5月号)>

大藪春彦氏を深く敬愛する

「今の俺が在るのは、大藪氏のおかげだ。
    『野獣死すべし』は、俺にとってバイブルであり、伊達邦彦は,俺にとって神に近い偶像だ。」


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