ザ・投稿2001

<投稿No.025 〜 投稿者:Cozakanaさん (MOM2001年2月号) 2001.1.22 >

おひさしぶりです。Sevenさん。
読書中に見つけた「ちいさな大藪ネタ」が集まりましたので報告します。

★『素敵な教祖たち』(本橋信宏 コスモの本)
P206 大藪氏ファンを自負する著者が「田中康夫氏のなんとなくクリスタル」を評して
   「この本は大藪春彦のナンパ版である」
どこかで似た評がありましたね。

★『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』(椎名誠 本の雑誌社)
P29にて、イラストレーターの沢野ひとしさんの本の読み方の例に大藪氏の名前が挙がっていました。あくまで例として。

★『プロフェッショナルファイターズ』(テッド新井原書房)
P14にて、伏せ字なんですけど(笑)元プロの傭兵から見た日本の作家の銃の扱いについて非難してます。
プロは至近距離でライフルの照準をあえて使うことや、傭兵本が売れることがお嫌いなようです。

★『拳銃王U』(小峯隆生 グリーンアロー出版社)
S&WM1917リボルバーの実射レポートのなかで、よく大藪主人公が奪いとるハーフムーンクリップ付き45ACPリボルバーについて
大藪主人公をからめて、まるまる2ページ書いてあります。かなりのファンです。小峯氏。
ほかにも、自分で扱った銃の操作をパーツ名とともに列記して、
  「・・・文章にすると長いが、これを僅かな時間でこなした。(P48)」
の表記に、二ヤリ。

上の3つはともかく、小峯氏の本はおすすめします。

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Seven:

『拳銃王U』は私も買いました。P.95ではモーゼルHSCの写真の説明文に“伊達邦彦も使っていた”とあります。
では私も「ちいさな大藪ネタ」をひとつ。
森村誠一さんのエッセイ集『人生は誰も教えてくれない』(1999年4月発行、PHP研究所)に
“管理社会への痛撃な反撃―――大藪春彦”という章があり、大藪氏や大藪作品についての記述があります。


<投稿No.026 〜 投稿者:ビアフラさん (MOM2001年2月号) 2001.1.27 >

★TV版 金狼について

 新世紀あけましておめでとうございます。今回は、TV版の金狼について自分なりの感想を述べたいと思います。

 朝倉哲也が、自分の持ち得る限りの技能と知識を駆使して、「野望」の階段を昇って行くプロセス
…原作の素材を壊さずに、どう料理、味付けするのか。

原作を最初に読んでいると、自分の抱いているイメージとのギャップに幻滅してしまうことがありますが、
初回放送は、すごく新鮮で、こういうふうな捕らえ方もあるんだと感心しました。

但し、朝倉の戦いが、「野望」のためではなく、「復讐」のために挑むというのは、テレヴィという媒体上しょうがないことですが…。

 他にも朝倉が何処で、誰から、どうやって、武器を手に入れたか、
最終回の際、なぜ、高 率いる中国マフィアは、せっかく密輸で手にしたカラシニコフ(中国製56式?)を活用しなかったのか等、
回を追うごとにアラが目立ちすぎていたように思いました。
 
  TV版は、たいていの人が、香取慎吾君や、石橋凌さんの好演に拍手をおくってましたが、
僕は、哲也の異母兄を演じていた、羽場裕一さんが、いちばん印象深かったです。
ギラギラした哲也を暖かい眼で見守りながら、それでいて、あやまちや困難に真っ向から向かっていく…。
大藪氏の理想とした、西部の親父のように。
この後羽場さんは、人妻を誘惑する予備校経営者や、最近では、生徒指導にいそしむさえない中年教師を演じられてますが、
どの役もいい味をだしています。

 「蘇える金狼」のサントラ中の曲 「FIRE DANCE」は、自身の気持ちを奮い立たせてくれます。
また、全話ヴィデオに録って、それぞれに大藪氏の小説のタイトルをかってにつけています。
最終話は、ズバリ「野獣死すべし」 これ以外にふさわしいものはありえないし、考えられませんでした。


<投稿No.027 〜 投稿者:リンスキンLさん (MOM2001年2月号) 2001.1.28 >

★大藪春彦氏の葬儀告別式

 1996年2月29日(木)、私は大藪氏の告別式に参列した。が、ただのファンにすぎない私がこの事について書くのはいささか気が引ける。
あくまで葬儀場に行って参列しただけで、誰とも話さなかった。一人場違いな感じがして、少し寂しい気がした。
あまり洒落た話や、センチメンタルなムードで書けませんが、以下、式について記します。

 私が大藪氏の死亡を知ったのは御恥ずかしながら、2月28日の事だった。テレヴィのニュースを見て、驚くと共に知るのが遅すぎると思った。
その当時私は失業中であった為、告別式にだけは行ってみようと思った。
何しろ、私にとって、大藪春彦氏と氏が書かれた作品とは、人生を変えた衝撃であったからだ。

 ここで私の、氏とその作品の出会いについて書かせて頂く。最初に大藪氏の名前を知ったのは、1982年・中学3年の時だ。
クルマ好きの親友が「お前もクルマ好きならこれを読め」と何冊か小説を貸してくれた。
その時、氏の『全開で飛ばせ』を彼が持っていたが「大藪春彦はヤラしいからなぁ」と言って貸してくれなかったのだ。
この時『全開で飛ばせ』を大藪作品初体験としていたら、その後の私の人生もかなり変わっていたろう。告別式には参列しなかったと思う。
その年の暮れに映画「汚れた英雄」が公開され、氏の顔も覚えた。
翌年の春にはテレヴィで映画「野獣死すべし復讐のメカニック」「蘇える金狼」が放送され、観た。最後の大々的な大藪春彦ブームだった。
そして以前BBSに書いたが新聞で氏の評論記事を読み、大藪春彦という作家がいかに凄まじい者なのかを知ると同時に
  「求めていたのは正にこれだ!」と確信した。
そしてその年(1983年・高校1年)の秋、初めて氏の作品『野獣死すべし』を読んだ。

 80年代は、前半ブリッコ・アイドル、中盤素人の寒い芸、そして後半がバブルに踊ったヤンエグ&ビッチの軽薄な時代だった。
その真っ只中に、思春期特有の“世間に対する反感”があった私は、どうしても違和感が抜けなかった。
私のように無口で、心を開いて何でも話せない者はすぐに“根暗なヤツ”のレッテルを貼られた。そんな時に出会った大藪作品&ハードボイルド。
無口で無愛想な独り者のヒーローが闘うその生き様、精神に
  「俺は根暗でいい。他人の言う事など聞かずハードボイルドな精神を持って生きるぞ」と心に決めたのである。
同時にジャズ、とりわけマイルス・デイヴィスのサウンドに出会ったのも強く影響している。
初めて聴いたマイルスの『死刑台のエレベーターのテーマ』に、『野獣死すべし』と同じ匂いを私は感じ取っていたからだ。
それ以降、私はジャズとハードボイルド(もっと言うとマイルスと大藪氏)が2大趣味となった。

 『野獣死すべし』を読んで次に『荒野からの銃火』『男たちよ闘いの荒野に死ね』『蘇える金狼』と読破。
他のハードボイルド&冒険小説作家の作品も読む。当時はこの2つがブームだった。
が、私にとって大藪作品を超える衝撃をもたらす小説には出会えなかった。
80年代、大藪作品を読み、生き方に影響を受けるという事自体が、私にとって正に“青春の反逆行為”であった。

 その大藪氏が亡くなった。氏は、私にとって葬式に行きたいと思う数少ない一人だった。
失業中で暇でなければ行かなかったろうが、正直、他の作家の方々も見られるというミーハーな動機もあった。
葬式に行きたいとはいえ、氏の逝去で私は泣きはしなかった。

 2月29日。電車で葬儀場である東京・杉並区の築地本願寺和田堀廟所へ向かう。開始の午後0時半より40分以上も早く着いた。
その時、どんな天気であったか忘れてしまった。5年も前の事だし、この事で何もメモをとっていない。
寺の前の歩道橋の影で黒いネクタイに締め変える。当時喪服を持っていなかった。紺のスーツ姿なので、行くときは恥ずかしかったのだ。
会場にて署名する際、「ファンです」と告げて、香典代は持参しなかった。
金に困っていた時だし、気を遣って、香典返しが送られて来ては、こちらが気後れしてしまう。

開始まで、待合室に案内された。扉を開けてすぐに眼に飛び込んで来たのは、何と徳間康快氏の姿だった。
失業ゆえに元気のなかった私は、氏の強いオーラを感じて、圧倒されそうになった。そそくさと後ろの席にちょこんと座る。
徳間氏はそんな私の事など当然眼中にない。単純に凄い人だなと感じた。開始時間が近くになり、室を出る。
北方謙三氏が現れるとテレヴィカメラや、記者たちが一斉に取り囲む。北方氏は流行作家というより、スター作家なのだろう。
  「90年代の初め頃に会ったがその時から体調が悪かった」などと答えていた。会場では藤田宜永氏と一緒に話しをしていた。
あとは遺族の方と親戚、森村誠一氏がいたくらいで一般の人は何と私一人だった。
早く着き過ぎたせいもあるが、平日とはいえ、ファンの参列者が私一人とは少し寂しかった。もっとファンが来て、話でも出来るかと思っていたからだ。

 告別式の椅子には、前から3列目くらいに座らされた。ただのファンなのに、場違いで恥ずかしい。
正面の大藪氏の遺影は、実に嬉しそうに笑っている写真が使われていた。
あまりにも素敵な笑顔。今にも、「やぁ!」と元気そうに笑顔で現れそうな感じで、私はかえって「なんで関係ないオレがここにきたんだ」と思ってしまった。
徳間氏が弔辞を読み上げる。氏と大藪さんが義兄弟の契りを結んでいた事を、この時はじめて知った。
森村氏の弔辞では朝倉を苗字だけで呼んでいたので違和感があったが、氏にとっては彼はただの朝倉なのでしょう。いかにも昔ながらの本格ファンという感じであった。

 しばらくして焼香をすることになり、自分の番が来た。そのとき正直いって、私は何を大藪氏に伝えていいのかわからなかった。
結局頭の中が真っ白になったまま焼香を済ませてしまった。

 そして外でしばらく待っていると、遺族に囲まれて氏の柩が運ばれて霊柩車に乗せられた。
夫人が、先ほどの涙を振り払って、弔問客に最後の挨拶をした。
毅然とした態度で話されたが、表を行き交う車の騒音と、その時吹いた風のせいでよく聞えなかった。
生前大藪氏が愛され、また関係者に迷惑をかけた事への感謝などを述べていたように思う。

 柩が運ばれる前くらいになって、船戸与一氏や、田中光二氏らの姿がみえた。
船戸氏は皮ジャンに、ワイシャツの一番上のボタンをとめずネクタイもゆるいままだったが、氏がネクタイをするのは相当珍しい事らしい。
「よお!」と手を挙げて軽く知人に挨拶しながら現れた氏は意外なほど小柄だった。
北方氏も葬儀が終ると、藤田氏と黒塗りの車の後席に乗って帰っていった。入り口には早稲田大学の射撃部の方たちが、大きな旗をかかげていた。

 私には、意外とあっさりした葬儀に思えた。
が、大藪さんは、どこかで、関係ない私に「それでもいいんだよ」と寛大に言っているように感じた。

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Seven:

長文ありがとうございました。告別式の雰囲気がよくわかりました。
リンスキンLさんは式場に行けなかった私たち多くの大藪ファンを代表して出席されたのと同じだと思います。

 


<投稿No.028 〜 投稿者:ビアフラさん (MOM2001年3月号) 2001.2.17 >

★ ROOT BEER−RAG 

今日改めてMOMを読んでいたら、ルートビールについて書かれているのをみつけました(2000年5月号)。
  10年以上前、アメリカにいた頃、沖縄の友達に勧められて、初めて口にしました。
強烈なミントの味と、サロンパスの香りのする飲み物に、辟易しましたが、そのうちに病みつきになってしまい、滞米中は、大抵ルートビアばかり飲んでました。
  A & W やDAD'Sといったメーカーはもちろん,他に Shasta といったメーカーのも見かけました。

 アメリカの州によって、炭酸飲料の安いメーカー,高いメーカーが決まっていました(たとえばオレゴン州では、コカコーラが、6本 99セントで、他のが 1 ドル20セントで、
他では、あるメーカー産が、6本 99セントで、他のが、1ドル20セントといったぐあいに...)が、ぼくのいたアリゾナ州では、Shasta  というメーカーのが、6本で 99セントでした。
  だから、ルームメイトと買い物の際に、1番安い 99セントのいろんなビールや飲み物を買いこんでましたが、絶対に誰も手をつけなかったのが ルートビア。
まるで自分のためだけに冷蔵庫の中に存在していました。
  大藪春彦氏が、ルートビアのミッションとした小説を描いています( 「死はわが友」)が、確かこの作品に出会ったのがこの頃だったと思います。

 P.S. 州によって値段がちがうというのは、記憶違いかもしれません。間違ってたらごめんなさい。


<投稿No.029 〜 投稿者:リンスキンLさん (MOM2001年3月号) 2001.2.27 >

★ 大藪春彦全作品完全永久保存化計画

 やはり、大藪作品は全作品21世紀に残しておきたいもの。
けど、従来の文学全集のフォーマットでは、次世代(若い人)に読み継がれる事が出来ないのでは。
それで、若い人に読まれる方法を考えましたので、こうして欲しいなぁという期待をこめて保存化計画案を。

 書物ではなく、ディスクで。
亡くなった作家の作品は殆ど再発しなくなっているし、再生紙にも資源の限度はあると思う。
若い人向きと、後述するゲーム感覚で、DVD(ヴィデオかROM)又はプレイステーション2でリリースする。
「テレヴィやパソコン画面で、ゲーム感覚で読む小説」というコンセプト。小説のあり方が根底から変わるキッカケになるかもしれない。
紙に書かれた小説を読む時代は、やがて終わるだろう。
私としては、先の2つのディスク両方の要素(機能)を持った新メディア(ディスク)が出るとありがたいのだが(例えばプレステ3が出るなら、是非そうして欲しい)。
そういうメディアの機能を想定して以下のアイデアを書きます。

 

1.全作品(小説、エッセイ、対談&談話等とにかく全部)をほぼ発表順にリリースする。

 「街が眠るとき」「火制地帯」等の盗作疑惑で再発されていない作品は勿論、昌夫シリーズや「怪竜ナトン」のような本に収められていないものまで
全て出す(現在不明の、初出誌の明記をする)。
「野獣死すべし」には「同 復讐編」「同 渡米編」を収録。「絶望の挑戦者」は第1部と第2部を分けて発売。
「長く熱い復讐(ころし)」は上下巻の表記にそれぞれ「彷徨編」「完結編」とする(そもそも何で変えたの?)。
「獣(ウルフ)たちの黙示録」は必ず「第1部 上 潜入編」「第1部 下 死闘編」と表記。「アスファルトの虎(タイガー) PART−1」にはサブタイトルを付ける。
「凶銃ルーガーP08」「戻り道はない」は共に現在のフォーマットで出して欲しい。短編は同じコンセプトの作品を集める。「狂った報復者」は「ヴェトナム秘密指令」と共に収録。

2.画面選択を可能にする。

 四六版ハードカヴァー、8ポ二段組新書版、文庫版に切り替え可。ハードカヴァー版を閉じる時はちゃんとパタンと音がするようにする。
又、挿絵の有無や、画面の地の色の選択、表紙画(ケースのでなく、画面上の)の選択。
映像特典として、生原稿や初出誌のページでのヴァージョンに切り替えて最後まで読めるようにして欲しい(全作品でなくても良いが、せめて「野獣死すべし」は絶対そうして欲しい)。要するに、テレヴィやパソコンの画面に、開いた状態の本が映っていて、それを読むという手法。リモコン又はコントローラーでページをめくっていく。
ページは、本のそれをめくるような感じで(折り目がつくような)画面が変わるようにする。

3.朗読音声の有無の切り替え可。

 勿論原稿の通りに読む。ナレーションは津嘉山正種、根津甚八、竹中直人、世良正則、大塚明夫の各氏を希望します。各々作品にふさわしい声の方に依頼したい。
また、声だけのもの、声と音楽&効果音付きのもの、画面を真っ暗にして音声だけ流す事も可能にする。
画面を出してる時は、カラオケの映像の歌詞のように読んでる箇所の色が変わるようにする。

4.”しおり”の機能を。

 途中まで読んだページにしおりを付けられるようにする。文章にも、スクロールして印を付けられるように。

5.ゲーム機能を搭載。

 朗読音声ON時、銃や、クルマやバイクのハンドル型のコントローラーを使用して、シーンに合わせて引き金を引いたり、ハンドルを切れば、
ドルビー・デジタル5.1ch音声で銃声やエキゾーストノート等の効果音がサラウンドで出るようにする。小説の臨場感をヴァーチャル体験しながら読めるシステム。
大藪氏の作品が最もふさわしいといえる。

6.写真&図解の豊富な解説を付ける。

 銃、車、ナイフ、服装、食事などのカラー写真付きの解説。舞台となる所の当時の地図及び写真。当時の政情や、業界などの解説。作品と実際の関連事件の年譜。
勿論、文庫本に付いてるような解説も。個人的には、SevenさんらHP作成者の解説も読みたいです。ワタシも書きたい!

といったところだが、価格はせいぜい2,000円(税別)位に出来ないだろうか。何せ画面は文字ばかりなのだから。
文庫本と比べれば割高だが、今「蘇える金狼 野望編」のハードカヴァー版を出す方が、それより高価になるはず。
新しい小説のメディアとして、やがてはこれが主流になると思います。
又、売り出す際も、書店にプロモ・ヴィデオを流すとか(作者の写真&プロフィール、見所場面を再現した実写映像など)凝ると良いと思うんですけど。
出版社の皆様「コストが掛かるから無理」なんて言わず、ぜひ一度ご検討を!! 
  とにかく、何十年たっても本の体裁が全く同じなんて、進歩が無くてやっぱりおかしいと思いますよ。


<投稿No.030 〜 投稿者:Y.Hさん 2001.3.23 >

 自分しか信じられるものはない。
大藪作品のテーマの一つを痛感します。
40才をすぎ、管理職になり、ただがむしゃらにまじめに働くだけではこの世は渡っていけないことを、やっと実感できるようになってきました。

 最近、大藪ワールドに足をふみ入れたのですが、毎日、通勤電車で読んでいます。古本屋まわりもしています。
今日、はじめてホームページにおじゃましました。今後とも、よろしくお願いいたします。


<投稿No.031 〜 投稿者:Kさん 2001.4.2 >

幻のテレビ番組

 こんにちは。
83年にテレビ東京で放映していた「クイズ私は名探偵」にゲスト解答者として大藪氏が出演しています。
番組冒頭の自己紹介の時に「最近は税金で九割方取られるのであんまり書きたくないのですが・・・」と言うようなことを言っておられました。
Sevenさんも新聞の縮刷版の番組欄でチエックしてみて下さい。
ちなみにサブタイトルは「大藪春彦のハードボイルド推理」というものだと記憶しています。
当時私は高2でした。

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Seven:
  追加投稿によると、85年頃放送の「おはよう!ナイスデイ」と思われる番組にて、ロス疑惑について大藪氏がコメントされたとのこと。

毎日新聞縮刷版を調べたところ、1983年ではなく、1982年の番組でした。
番組のタイトルは、「私は名探偵・完全犯罪をつぶせ!」で、テレビ東京にて1982年4月13日(火)に放送開始した番組。
東西に分かれた5人の解答者が推理ドラマを見ながら推理クイズをする番組だったようです。私は全く記憶にありませんでした。
大藪氏が出演されたのは、1982年(S57年)9月14日(火)20:00〜20:54で、
TV欄には「三人の遺産相続人」大藪春彦のハードボイルド推理! とありました。
番組解説:
「今回は西軍・藤本義一探偵局の担当週で、ゲスト探偵はハードボイルド作家の大藪春彦さん。
東軍・大島渚探偵長の持ち込んだ事件は資産家老女殺人事件「三人の遺産相続人」。桂文珍、江本孟紀、秋野暢子らレギュラー探偵がこの難事件に頭をひねる。」
果たして、大藪氏はどんなハードボイルド推理をしたのだろう?
当時、ご覧になった方がいらっしゃいましたら教えてくださいませ。


<投稿No.032 〜 投稿者:ビアフラさん 2001.4.23 >

 4日前の木曜日、仕事をしながらラジオを聞いていた。その日のテーマが、「心に残る日本映画」で汚れた英雄をあげたリスナーがいた。
  彼は、もちろんローズ・マリー・バトラーの「汚れた英雄」をリクエスト。
  公開当時僕は高校生だったが、リアルタイムでは見ておらず、ずーーーっと後にヴィデオで見た。映画の晶夫は、女を渡り歩くジゴロでもってレースの資金を稼いでいて、高見沢優の姿を彷彿とさせていた。
  そして、今までレーサーは車さえ乗っているだけのものだと思っていたが、車を自分の手足のように扱うために体を鍛え、レースに勝つためにコースを緻密に調べたりするのを知り、勝つために努力を惜しまない姿に感動したものである。
  ローズ・マリー・バトラーの張りのある歌声と「コンマ1秒のエクスタシー」のフレーズを携えた映画。ラジオから流れる曲を聴きながら、映画のシーンをしばし思い描いていた。


<投稿No.033 〜 投稿者:ビアフラさん 2001.6.22 >

★銃に対する自身の思い

 貧乏ッチャマ時期から頻繁になり、もはや趣味の領域へと進んだ、古本屋通い。
雨の休日、本棚にひっそりと佇む1冊の本。初見時は、パスアップ、だが、次は見逃さなかった。夜明けに消えてもらっては困るモノをもっていたから。

 数々の謎をはらんだ、ケネディー大統領の暗殺。
これについて、著者の感じた疑惑と、銃という観点から述べる程度にとどめているが、裏に巨大な組織がいるのを匂わせている。

 もうひとつは、テキサス州オースティンで起きた発砲事件での民間人の活躍を綴った「ホイットマンと武装した市民」。
いかにもアメリカらしいといえるが、銃は、使う人によって、利器にも、凶器とも化す代物といえる。これは銃だけには限らないが...。
前者にするためにも、取り扱いやマナーをキチンと教えればいいだけなのに、後者として扱うような報道するから、歪んだ印象を与えたり、人に向けて撃ったりするのだと思う。

 銃に対する氏の思いとその効用を秘めた、『暁の自爆』。  夜明けに消えてしまうには惜しい代物である。 


<投稿No.034 〜 投稿者:T.Yさん 2001.6.24 >

 テレビ版蘇える金狼のビデオ&DVD化を希望する人は意外に多いのですが、僕も希望しますね。
でもテレビそのままではなく、カットしたり、撮り直して再編集して欲しいですね。
  できれば、戦士の挽歌のテイストなんかも取り入れたらいいんじゃないかなと思うんですが?


<投稿No.035 〜 投稿者:T’PARKさん 2001.7.21 >

 ★私も、「私は名探偵・完全犯罪をつぶせ!」(テレビ東京) 見ました。 

 大藪氏は、確か回答者数名の右端の席に座っておられ、司会者(?)に、「大藪さん、どう推理されますか?」 と話をふられて、
「いやぁ、全然わかりません」と答えられていたような記憶があります。

あと、「大藪さんって、(書かれている小説の内容からすると) もっと怖い人かと思ってました。」 というようなことも言われてましたね。
私も、本人を写真以外で初めて見たのですが、「小柄で穏やかなおじさん」という印象を持ちました。

 大学1年の時のことです。おぼろげな記憶ですが、この「ザ・投稿」を見なければ、一生思い出さなかったかもしれません。
感謝。。。

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Seven:
  貴重な情報ありがとうございました。 「俺も見たかったな〜」


<投稿No.036 〜 投稿者:毒島さん 2001.7.25 >

 ★「私は名探偵・完全犯罪をつぶせ!」憶えてます。 

 思い出しました。
大藪氏がTVに出る。というので1週間ぐらい前から楽しみにしていました。
氏はオープニングの自己紹介のとき(だと思う)、「一億稼いでも、税金で9千万もとられる」と言うようなことを憤慨しつつ、
司会の藤本氏が「あなたが人を撃つとき、自分の銃を使いますか?」という質問には真剣な顔で「いいえ。」と答えていたのを覚えています。

 あまりしゃべるシーンはなかったけど、税金の話は熱く、独特の口調で話されていました。
はじめて投稿しました。私も大藪マニア、というかフリークです。また来ます。

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Seven:
  詳報ありがとうございました。野獣の目撃者ですね。


<投稿No.037 〜 投稿者:南ジョージさん 2001.8.4 >

 ★ 8/3 ちょっと記念日

 南ジョージと申します。
昨日(8/3)に大藪春彦先生のコレクション(文庫本)が、100冊になりました。
一つの通過点ですが、私の記念日として、ここに投稿します。


<投稿No.038 〜 投稿者:こよぴさん 2001.9.13 >

 ★エミーのザウエルの正体

 大薮小説の中の異色の小説の中の一つ、女性を主人公にした『女豹』シリーズ。
その主人公、小島”エミー”恵美子が常時携帯する拳銃・・・それが”ザウエル”。

 以前、何方かが『エミーのザウエルは何?』という書き込みが有ったと思います。
その時、頭の中に大体の回答が浮かんでいたのですが、確証が無かったので書き込みしませんでした。
今回は時間を掛けて銃関係の書物と『女豹シリーズ』の中のザウエルの特徴を読み合わせる事が出来、正解らしきものが導き出せたので
発表してもいいかなと思いました。大袈裟に書いていますけどマニアの方なら答えは簡単でしょうね。

 先に正解を書いて置きますけど『ザウエルM38H』で多分間違いはないと思います。

氏が小説の中で書かれていた”ザウエル”の文章を元にして推測しますと
  @口径が32ACP(7.65ミリ)であること。
  Aナチ国防軍の将校、空挺部隊の多くが護身用に使用された事(実際に大戦時に幅広く軍用、警察用とかなりの数で使われていた。終戦まで20万丁以上作られた)
  Bトリッガ−・ガードの後ろにコッキング・レバー(大薮氏表記。これは正確に言うとデコッキング・レバーで用途が全然違います)
  Cコッキング・レバー(大薮氏表記)の下にマガジン・リリースが付いている。
  Dスライド後部左側にマニュアル・セフティが存在(後期のM38Hはその装置がオミットされた)
  Eマガジン・セフティ内蔵。
  Fスライド上部のチェッカリングを施した散弾銃の様なリブ。
  GDA(ダブル・アクション)であること。
以上の理由からそう考えました。

 これは論拠が弱いのですが、小説中でサイレンサーを組み込む為に伸ばした銃身長が4インチ(10.16センチ)で
ノーマルの銃身が3と4分の1インチ(ガン誌・別冊7)で8.255センチ、床井氏の文献では8・5センチ。
小説の中では『スタンダードのものより8分の5インチ(1.5875センチ)長い』と書かれています。
合計すると正確では有りませんが、4インチ位になるかと思います。
銃身長の計り方も色々あって薬室を含む計り方、純然たる銃身のみの計り方もありますので・・・この程度かなと。

 参考にはなりませんが、拳銃の銃身長は4インチと表記されているものでも、
競技用のガチンコ銃を除いて、実際に計って見ると長い物や短い物も多数あるので、
氏が作品を書くにあたって、どの書物を元にしたのかはわかりませんが、
当たらずとも遠からず・・・だと思います。

 そんなこんなで私は勝手にエミーの”ザウエル”は『ザウエルM38H』だと個人的に思っています。

この銃は大戦時に作られたので美しい物はあまり現存していないのですが
米国に小数輸出された物にはブルーの美しい物が有るそうです。
刻印も米国向けとドイツ国内向けの物は違っていて、私はエミーのは米国向け刻印の
ブルーの美しい、それだと思っています(笑) 価格は現在400ドル強でしょうか。

それでは雑文・駄文を最後まで読んで頂いて有り難う御座います。こよぴでした。


<投稿No.039 〜 投稿者:S.Iさん 2001.9.27 >

 はじめまして、小生 中学時代より大藪ファンの38歳サラリーマンです。最近マニュアルのスポーツカーを購入した友人のために、
マニュアル車運転術をまとめてみたのですが。その抜粋を投稿したく存じます。

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大藪ヒーロー達に見る「ヒールアンドトゥ」
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 はっきり言って最近の車はABSや四輪ディスクブレーキがほぼ標準で装備されているので、
シフトダウンによるエンジンブレーキの必要性自体が、箱根の下り坂でもない限りほとんどない。
ヒールアンドトゥもよっぽどうまく決めるのでなければ、エンジンブレーキの補助は犠牲にして、フルブレーキングに神経を集中したほうが短い距離で止まれる。

 ただしやっぱりヒールアンドトゥは必要である。なぜならコーナーにフルブレーキで突っ込んだ瞬間、
脱出時に最大トルクを生み出せるギヤにすでにシフトダウンされているという事は必要不可欠だからである。
これはフルブレーキを踏みつつも、同時に何らかの方法を使ってシフトダウンも同時に行わなければならない事を意味する。
シフトダウンにはアクセルを吹かす必要がある、だけど右足爪先はブレーキを踏んでなければいけない、だったら踵でアクセルを吹かすしかないわけである。

 ところで大藪春彦「復讐の弾道」では主人公の羽山貴次が、なんと踵でブレーキを踏み爪先でアクセルを吹かす、というとんでもない記述がある。
ドラムブレーキ主流の時代のジャガーを駆ってパトカーの追従をまくシーンだが、
「ただブレーキを踏んだだけでは絶対に止まれない距離で急停止できる自分のテクニックに酔いしれ、うんぬん...」とある。
まったく逆である。
それとも60年代のジム・クラークの頃までは、みんなこんなガニマタ状態でヒールアンドトゥを決めていたのだろうか?
できない事はないが、それでもブレーキングの繊細さはかなり失われる。
それともジャガーはアクセルとブレーキの配置が逆なのだろうか?
前述したが、伊達邦彦は最新のスカイラインGTR(もちろんシンクロギヤ)を駆っているくせして、
シフトダウン時にいちいちダブルクラッチを踏んでいる。
さらに他の複数の小説においても主人公を通して、60年代当時ポルシェに採用されたシンクロギヤを「グニャグニャして頼りない気がする。」と批判している。
90年代に甦った伊達邦彦のダブルクラッチは
「必要ないし効果もないけど、シンクロの性能が格段に良くなった現在でもついやってしまう」癖のようなものなのだろうか...
さらにハイウェイハンター西城秀夫も、東名高速を走行中に敵の車に遭遇、加速、追跡するためシフトダウンをするまでは良いのだが、
これがなぜか「ヒールアンドトゥ」である。
なぜそこでヒールアンドトゥなのか、なぜそこでブレーキを踏まなければいけないのか非常に理解に苦しむ。
そんな事してたら敵に逃げられまっせ、西城さん!


<投稿No.040 〜 投稿者:リンスキンLさん 2001.10.1 >

★大藪氏とマイルス・デイビスの共通点

 リンスキンLです。5月に予告していて怠けて書かずにいた、私の大好きなお二方、大藪さんとマイルスの共通点について書かせて頂きます(ジャズ、ハードボイルド両方詳しい平岡正明氏でさえ両者の共通点を指摘していないのは私的にはフシギ)。

 まずやはりジャズといえばハードボイルドだと思うのだが、その“ジャズ界の帝王”マイルス・デイビスに匹敵するハードボイルド作家といえば我らが“史上最強のハードボイルド作家”大藪春彦様しかいないでしょう。
両者に共通するいかにも大物的佇まい、ワルそーな雰囲気、大勢に影響を与えたのにワン・アンド・オンリーで真の後継者が現れなかった事、そして時代と共に変化していきだんだんと大作化していった事などに似たようなカリスマ性を感じるのです。それに何と言ってもあのカッコよさ!! 両者の作品共メジャーな明快さを持っていて楽しめるが、奥が深く、ダークな雰囲気が漂っている点がカッコ良いのだ。この感じ、まさに両者似たテイストを持ってると思います。

 又、マイルスは60年代にはフェラーリ275GTBを乗り回し、その後ランボルギーニ・ミウラで大クラッシュし(『全開で飛ばせ』のラストみたい)、80年代はフェラーリ・テスタロッサに乗っていた(これが昔のテスタロッサなら北野晶夫なんだけど)。武器(多分銃器)不法所持で捕まった事もある。親友と呼べる人は殆どいなかったし、常に新しいものをクリエイトするために孤独であろうとした。だが、都市を離れて自然の中で愛馬(3頭いた)と過ごすときにだけは穏やかな顔になっていたという。これらの事って全部大藪さんまたは大藪ヒーローと当てはまるじゃないですか。大藪さんはデビュー前、マイルスは亡くなる10年前からだけども共に絵を描いていましたし。

作風の変化については、マイルスはビバップをはじめ、クール、ハードバップ、シネ・ジャズ、オーケストラ、モード、新主流派、フリー、エレクトリック、ロック、ファンク、ポップ、ときて最後のスタジオ録音がヒップ・ポップ・アルバムとなった。大藪さんも、『野獣死すべし』を書いたのが第1期。その次の作品から『蘇える金狼』あたりまでの初期作品が第2期。『諜報局破壊班員』からが第3期、西城秀夫が登場して他のエージェント・ヒーローが退場していったのが第4期、エアウェイ・ハンター・シリーズの10年間が第5期、『アスファルトの虎』の10年間が第6期、そして『餓狼の弾痕』から『暴力租界』の最後の連載分が晩年の第7期と変化していったと思う(両者とも根っこにあるのは変わることが無かったけど)。さらに、“作品のアーティスト的な位置付け”として捉えるなら、『汚れた英雄』に匹敵するのが、中期にそびえるモニュメンタルな大作という意味でマイルスの『ビッチェズ・ブリュー』が制作時期的にも一致する。他、同じような定義で『黒豹の鎮魂歌』と『ゲット・アップ・ウイズ・イット』、『傭兵たちの挽歌』と『アガルタ』『パンゲア』、『アスファルトの虎』と『TUTU』『アマンドラ』がそれぞれ時期的にも創作変遷過程における位置として相当する作品と言える(両者を知ってる人でないとわからないと思いますが)。

 さらに、「大藪作品世界とイメージが一致するマイルスのアルバム ベスト5」としては・・・

   1.『ダーク・メイガス』
    2.『ビッチェズ・ブリュー』
    3.『マイルス・スマイルズ』
    4.『ソーサラー』
    5.『死刑台のエレベーター サントラ』(順不同)

といったところ。

1.は『狼は復讐を誓う』の猥雑な雰囲気を彷彿とさせる、いかにもヤクやってるぞー的病的匂いがプ〜ンの、超ダーク・アンド・ヘヴィ・ファンク・ライヴ。
スピーディーな1曲目はアクション・シーンを読むのにうってつけ。マイルスの楽歴中最も過激な作品だ。

2.はタイトル曲での出だしのトランペットが優作版『野獣死すべし』のサントラにモロ影響与えています。
又、1,3,4,5曲目はアフリカでのハンティングやアクション・シーンにぴったり。そして6曲目は正に角川文庫版『傭兵たちの挽歌』前編の表紙画の世界! 

3.は”冷たい蒼白い炎”といった感じのサウンドが、大藪ヒーローらしい”冷静さの中に燃える情念”と通じるものがある。
これもハードでワイルドな作品なのでアクションシーンにぴったり。

4.は3.と同じメンバーながらより静かで謎めいた魔性の雰囲気。3,6曲目『復讐の弾道』のイメージに通じます。
4曲目はマイルスのトランペットが、主人公が放つ銃撃を彷彿とさせる。冷静に狙いをつけながらハードに連射して確実にヒットする感じなのだ。

そして5.は私が高校1年の時初めて聴いたマイルスの曲。奇しくも初めて読んだ大藪作品である『野獣死すべし』を読んでる時に出会った。
『野獣〜』の人生観を語る件でこのタイトル曲を聴くともう恐ろしさ倍増でたまらんです。当時そういう風にして鑑賞した私、狂気の世界にハマってホントヤバかったです。昨年頻発した高校生による凶悪犯罪みたいな事をあやうくやりそうになってました。この暗闇から孤独のどん底のようなすすり泣くマイルスのトランペットの響き。恐怖と共に人間を狂気に駆らせるものが確実にある。これぞ芸術です。

と、例によって長々と書いてしまいましたが大藪ファンの皆様、ぜひマイルスを(どの時期のものも)聴いて頂きたいです。必ず両者通じるものを感じてハマると思いますよ。


<投稿No.041 〜 投稿者:壱右衛門さん 2001.11.11 >

★「今何故か大藪春彦」その「何故か」を考える。

 私が大藪作品に出会ったのは10代の時。
その頃はお世辞にも良い読者とはいえなかったでしょう。
暴力描写とセックス描写に重きを置いていましたから。(たぶん)

 さて、話は少しそれますが、現在社会の中枢を担っているのは30代〜40代の人ではないでしょうか。
私は会社員でも業界人でもないので実際のところは解りませんが。
今、かなりのリバイバルがあります。昔のテレビが復活したり、昔からの番組が形を変えて続いていたりと。
例えばバカボン、ロボコンなどが復活し、ウルトラマン、仮面ライダー、ルパン三世などは今だに続いています。
そしてサザエさん、ドラエモンのように不変の番組も。
このような番組は私の世代が好んで観ていた番組です。
さらにTVCMに耳を傾けると80年代、当時高校生だった頃の洋楽がこれでもかと流れてきます。
もっと言えばパチンコ業界などは私の世代が好んでいたキャラクターが勢揃いしているような状況です。
全ては30代〜40代が鍵を握っていると言ってもおかしくない状態です。
この年代が新しいモノを創造せずに安易に古いモノに頼っていると言えばそうなのかもしれませんが・・・。
松田優作ブームもこの流れに乗っているモノだとも思われます。

 そして大藪作品もそうなのではないかと。
つまり若い頃には読んだけども本棚には残ってはいない。
だから新刊として発売されれば購読すると。出版する側も然りで。
主人公達の年齢に近づき、あるいは追い越し、若い頃に読んだ時とは違った新たな感覚で読めるのではないかと。
日常を何気なくハッキリとした夢や目標があるワケでもなく平平凡凡と過ごしている自分に何かの起爆剤になってくれるのではないかと。
そういやぁ大藪って作家いたよなって。ようやく主人公の年代になったなって。
そういう年代が多く読んでいるのではないかと思います。
ですから死して尚刊行され続け読まれ続けているのではと思います。
こう書くと “じゃぁそれ以外の年代は” というコトになるワケですが、それは話は別で、
今、大藪春彦作品を動かしているのはこの世代だと。
それに若い世代も読んでますよね。これは松田優作ブームが大きいですね。
「蘇える金狼」「野獣死すべし」を観て “原作:大藪春彦” とくれば興味を示す人もいるだろうし。
本屋に並ぶ作品が少なくなった今、どういう形であれ大藪作品が引き継がれて行くコトを望みます。

 私が10代の頃、読み始めた時には 「今、大藪春彦」 だったのでしょう。きっと。
どっこい、今の世代も頑張っているぜや。大藪チルドレン共がね。
「今、何故か大藪春彦」 次世代にも引き継いでもらいたい言葉です。
同年代の者達よ、次世代の者達よ、大藪春彦の灯を絶やすコトなかれ。
乱文失礼・・・。


<投稿No.042 〜 投稿者:ビアフラさん 2001.12.6 >

バラントレ−家の若殿

 大藪氏の作品に影を落とし、北野晶夫の生き方に大いに影響を与えた、ロバート.ルイス.スティーヴンソンの名作、
「マスター オブ バラントレー」に漸くお目通りがかなった。
  「汚れた英雄」で物語の一部を紹介されて以来、恋焦がれた女性から長い間御預けを喰らって、いらぬ妄想がどんどん膨れ上がったかの如き飢餓感から解放された気分である。
  執事の回想により物語は進行するのであるが、大藪氏は二ヶ所間違えている。1つは、兄殿の家名は“デューリー”で、ダリスディア卿を称していた。“バラントレー”は、ダリスディア内の一部の領土であったこと。兄殿は、その地を管理していたのかもしれない。もう1つは、舞台が名誉革命ではなく、その後のジェームス党の乱(1745年)であること。
  コインのトスによって、先代王朝(ステュアート王朝)側についた兄殿は、敗戦の憂き目に遭い、パリに亡命。一方の弟君は、兄殿は戦死したと思い、ダリスディアの称号と所領、そして兄殿の婚約者まで継承する。やがて、帰還した兄殿は、スコットランド領内で、そして新大陸で、と長きに渡って弟君と確執を演じ、互いに破滅への道をたどっていく…。
  この兄殿の天性備えた快活さと狡猾さ(如才のなさと言おうか?)、それが敗戦後によってニヒリスティックとシニカルさによってさらに磨かれた性格としぶとさは、大藪氏の作品でも随所に見受けられる。
  例えば、タラップを上がる朝倉が、誰にともなく嘲るように手を振るシーンなどまさにそうだ。そのあとに血を吸ったように煌めくピンクダイヤの描写には、ゾクリとするが…。
  ところで、兄殿は、いったい何故弟君と確執を演じる羽目に陥ったのか?自分に代わって弟が領地と爵位を相続したためか?だが、出陣の際、自分の企てが失敗すれば、跡目を継げといっている。では、戦争によって受けた、心の傷により、世の中の既成の価値観を破壊したかったのか?あるいは、こんな状況に自分を追い込んだもの達への復讐?
  何れにせよ、自ら破滅への道を突き進むために、周りの人たちを巻き込み、同様の目にあわせるエネルギーは半端ではないことは否定できない。


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