ザ・投稿2002

<投稿No.043 〜 投稿者:天国太平さん 2002.2.12 >

『傭兵たちの挽歌』敵ボス等のモデルについて

 巨匠、渾身の大作「傭兵たちの挽歌」の作中に置いて
敵役とされるナサニエル・レヴィン(角川文庫版上70P)とダヴィド・ハイラル(上29P , 99P以下)。
これが、現実には誰のことなのか、この人物が誰を仮託モデルしたものか、その実在の人物を一応推定いたしました。

 以下、推定として、
  まず、レヴィンでありそうなのは、
ジェリー・レヴィン AOLタイム・ワーナー前CEO
K・レヴィン    政治学事典 弘文堂 記載者
モッシュ・レヴィン レーニンの最後の闘争 河合秀和訳 岩波書店 19691001
アイラ・レヴィン  死の接吻 作者
トーマス・レヴィン ビバリーヒルズ市長
あたりでしょうが、福田赳夫(福本)と面識があるようには見えない。
かつて福田の自伝を軽くよみました時に、出てくるかとは想いましたが解りませんでした。再度読み直してみますが。

 以前、経歴は 以下の
コーチャン『ロッキード売り込み作戦』朝日新聞社の
アーサー・ヤング会計事務所35P
アルバート・エリオット157P
あたりを組み合わせたものかと想いましたがまだ同定はすんでいません。

 ただし、
石原慎太郎『国家なる幻影』文藝春秋99.1.30
にリチャード・アレンなる人物には福田赳夫との交流が確認されています131P。

 また、「アメリカ自動販売会社の創立者兼理事長である、ロータリアン、ナサニエル・レバロンNathaniel Leveroneは
事業や市民生活の枠を越えて、模範的な教育的や博愛の基礎となる実例をもって参加した、もう一人の著名な指導者であった。」
という人物も組み合わせているかもしれません。

 次にハイラルですが、
エジプトの財閥エルハワリ・グループ(ELHAWARY)

が一番近いような気がします。
これに ブトロス・ガリ国連事務総長の出自の
祖父がエジプトの財閥出身で、ロンドン・シティの総帥イヴリン・ベアリングの使いっ走りであった、
ことの、経歴の一部を合成している可能性があります。

 1952年7月にナセル率いる自由将校団が軍事クーデターを起こし、国王ファルーク一世を追放し共和制を宣言。
エジプト評議会を作り53年ナギブを共和国大統領に据えたが54年にはナセルが実権を掌握。
そしてナセルによる「アラブ社会主義宣言」が1961年ですので、それ以前のエジプトの財閥が対象となります。

 ダブィドの地中海銀行、社会奉仕の慈善団体サイデール、の元ネタは、判然としません。
ただ実際に名称だけは地中海銀行と地中海投資銀行は存在します。
またサイデールは、サイエントロジー協会にフランスのなにかを混ぜた団体のような気がします。

 現在でも(出典はいまひとつ不明瞭)
「11月8日、ロンドン・エコノミストが「抑圧的、秘密主義で非民主的なサウジアラビア政府のタリバン支援と、
アル・カイーダを含むテロリスト・グループに資金援助する慈善団体への王族の融資の拡大を非難した。
エコノミスト誌は、ファハド国王とアブドラ皇太子がイランのシャーの最後の日々を再現していると断言した。」
現在でもテロ過激派団体に慈善団体経由でカネを出しますから、大藪先生の記述は間違ってはおられなかったのである。

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★リンク切れの参照URL表示は割愛させていただきました。(2006.3.26 Seven)


<投稿No.044 〜 投稿者:Nさん 2002.6.25&6.26 >

(投稿1:2002.6.25)
  伊達邦彦。久しぶりに聞く名前です。
大学時代(10年前)、乾いた砂が水を吸い込むようにOHNを読み倒しました。
しかし、いまは、普通のおっさんになってしまいました。
お腹も出てしまい、頭も薄くなってしまいました。

でも、このHPを見て、もう一度、伊達邦彦を目指そうかな、というとんでもないことを空想してしまいました。

以上、貧乏と若さは素晴らしいとつくづく感じる おっさんでした。

(投稿2:2002.6.26)
  私がはじめて大藪さんの作品を手にしたのは大学1年生の時でした。
アルバイト先の正社員さんが読んでいたのを偶然見たのです。
作品は「野獣死すべし」でした。
もう、一気に読んでしまいました。精神があんなにも集中したのは初めてでした。
すごい世界が存在している、というのが、その時の感想でした。
伊達邦彦と環境、価値観がほとんど同じだったせいもあったのでしょう。
理想の男は伊達邦彦そのものでした。

 が、しかし、現実は悲しい、というよりか、残酷です。
私は、酒は弱いし、体力もない。腕立て伏せをしても20回が限界。
頭も良くない。
女にももてない。
野獣死すべしに登場するしみったれた学生そのものでした。
ないないづくし。

 ビデオも見ましたが、うーん、こんなこと言ったら失礼ですが、制作者は伊達邦彦の世界を理解していないのではないでしょうか。
ストイシズム、復讐、怨念、屈辱、孤独感というものが、全然感じられません。
きっと、仕事で成功して、実績を残している人が作ったんじゃないでしょうか。

伊達邦彦を演じるのは、そう、木村拓哉が最適ではないでしょうか。

 


<投稿No.045 〜 投稿者:追放者さん 2002.9.3 (MOM2002年10月号)>

 ルーガ−08。 中学生当時、これ程自分を魅惑するモデルガンは他になかった。
掌に吸い付くようなグリップ、スタート雷管でむりやり発火させるとキューンという突き抜けるような爆発音と
ブロウバックして舞い上がった模造の薬莢が無限の力を想像させる。モデルガンから大藪ワールドへ踏み込んだ野獣も多いことだろう。

 今回はこの凶銃ルーガ−08の初出時の小さな発見レポートだ。
雑誌掲載は昭和36年アサヒ芸能1月1日号から始まる。
『暗い星の下に』『夜明けは来ない』『はぐれ狼』『穢れたバッジ』『戻り道はない』『若者の墓場』『星に叛く』と続く。
同年の10月からは『野獣都市』が追い掛けるように連載され、単行本発行も急がれたのだろう。
アサヒ芸能出版からは雑誌連載中にハードカバー第一巻である“凶銃ルーガ−08”が8月に発刊され、
翌月には第二巻“若者の墓場”が刊行された。
しかし、ここでシリーズ最後尾の2作が積み残されたのだ。
やがて、この2作は約1年後の37年8月に浪速書房から“死を急ぐ者”として刊行された。大藪伝説の書にある異本とはこれ等のことだろう。
新書判に馴れた野獣にとってはこんなことは煩雑な事かも知れないが。

 ここに、シリーズ第7作である『星に叛く』掲載雑誌がある。内容はまさに『死を急ぐ者』だ。
浪速書房発刊にさいして改題されたのであろう。この書にはおもしろい付録までついた。
目次のページが無いのである。唐突に1.として『死を急ぐ者』が幕をあけ、恥骨を粉砕する銃弾で終わる。
そして、改ページして、1.として収載雑誌では未確認であるが『凶銃の最期』が始まるのだ。
後に続く『雨よもっと降ってくれ』『殺してやる』『機銃の裁き』には総べてタイトルが附されているのに。
 
  最後に『暗い星の下に』書き出し数十行の内に、「。」の脱字がある。読みはじめて違和感を感じた野獣も多いのではないか。
此処のところは収載雑誌では、明らかに「。」で区切られているのだ。
文庫本まで総てを確かめた訳ではないので言い切れないが、それぞれの底本の出所を知るのには役立つだろう。
 
  氏の影を幻のように追い、彷徨しながら年老いて逝くのは自分だけではなさそうだ。

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★投稿ありがとうございました!!しかも超レア画像付きで!
  『死を急ぐ者』に『星に叛く』という原題があったとは知りませんでした。
  やはり掲載誌だと作品の雰囲気といったものをより鮮明に感じますね。
昭和38年12月15日発行の浪速書房の新書版『死を急ぐ者』(ナニワ・ブックス)も同様の編集内容でした。(Seven)


<投稿No.046 〜 投稿者:yasuさん(神奈川県) 2002.9.20 >

 懐かしいHPだったので思わず投稿(しかも勤務先から)してしまいました。
大藪さんが亡くなって何年になるのでしょう。
訃報を聞いたときは、絶句。
大藪さんと、小説の主人公をオーバーラップさせていて、(大藪さんは持病もちではあったが)「死」とは無縁の人だと思い込んでいました。
満州から引き上げた原体験から始まって、その時々のタイミングに会ったノヴェルは平凡なサラリーマンである私にとって一瞬の現実逃避できる時でありました。
ほとんどすべての作品を読みました。
短編から長編まで。
映画にもなりましたが、やはり小説の方が良かった。
車と銃の好きな私には新刊が待ち遠しかったものです。
「野獣死すべし」、「蘇る金狼」も好きですが私は「汚れた英雄」が好きです。特に前半の部分がおきにいりです。
戦後の日本人の生き方をリアリテイをもって描き、強いアメリカを手玉に取る。
バイクをリヤカーに積んで引っ張ってゆくシチュエーション。
アサマを知っている時代に生きた私にはフィクションとは思えません。
映画は見ませんでした。(落胆することがわかっていますから)

 大藪さんの長編はどうしても後半が少しだれるように思います。(健康状態が影響していたのかも知れません。)
主人公以外の登場人物を、実在の誰かに思いあわせるのも楽しみでした。
自動車関連のシーンでは名前までほぼそっくり使われていましたね。
北野晶夫は死亡?しましたが、伊達邦彦はまだ生きていると信じたい。
誰かが大藪作品の主人公を引き継いでノヴェルを書かないものでしょうか。


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